2019年11月29日

小論文チャレンジ02

「ことば」は時代とともに変化する。「来られる」→「来れる」、「見られる」→「見れる」のような「ら抜き」現象がその一例であるが、これを「間違ったことば」ととらえるか、「ことばの進化」ととらえるか、様々な意見がある。このような時代にともなうことばの変化について、あなたはどう考えるか、具体的に説明しなさい。(800〜1000字)
(2017神田外語大 アジア言語学科 インドネシア語専攻・ベトナム語専攻・タイ語専攻)

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。「ことば」は時代とともに変わるというが、このような変化について吾輩は断固反対である。新しい言葉を発明したり文法を改変したりなど言語同断で、法律で厳禁するべきだと考えている。なぜなら、言語はコミュニケーションの手段であるのに、変化を許すと不便きわまりないからだ。

 まず共通語を学ぶための時間と手間がたいへんな無駄である。我々猫は、どこの国の出身だろうが、日本の猫とおなじくニャーニャー、ゴロゴロと同じひとつの言語を使ってコミュニケーションをとることができる。聖書を読んで知ったのだが、もともとすべての人間はひとつの言語を話していたらしい。ところが様々な言語にわかれてしまい、意思の疎通ができなくなったのだという。いまは英語が事実上の世界共通語である。日本の高校生は長い間英語を勉強しているが、あまりできがよろしくない。共通テストが悪い、4技能の民間テストを必須とするべきだ、いやダメだなど、連日大騒ぎである。この問題は、日本人が英語を公用語にしていないことに根本原因がある。人間とはなんと不便な生き物だろうか。

 もうひとつの理由は方言や俗語の存在である。吾輩は血のにじむような努力をして人間の言葉である日本語を身につけた。尊敬する國広正雄先生の言語学習法である「只管朗読」にもとづき、500回の教科書音読を繰り返したのである。また、NHKのニュースを録音して発音をコピーし、ついには完全に暗唱した。ところが、成果をためしてみようと街で人間に話しかけてみると、彼らの関西弁や俗語がまったく理解できないうえに、「まるで教科書みたいな話し方やな」とバカにされて笑われた。大変な屈辱である。NHKアナウンサーの標準語以外は、決して認めるべきではない。

 とはいえ、現実に様々な言語が使われているのも事実である。最近は街でもベトナム人やインドネシア人を見かけることが多くなった。これまた尊敬する故ネルソン・マンデラ元大統領はこう言われた。「共通語で話せば、その言葉は相手の頭に伝わる。相手の母語で話せば、その言葉は相手の心に響く。」吾輩が神田外語大に入学したあかつきには、再び「只管朗読」によってアジアの言語を身につけようと考えている。
(約940字)

posted by a cat at 23:10| Comment(0) | 日本語小論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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