2020年01月12日

小論文チャレンジ08-2

「才能がある」とか「才能がない」とかよく言われます。あなたにとって才能とはなんですか。あなたの考えを600字以内で述べなさい。
(2019日本医科大学)

Version 2
 世の中には「才能とは遺伝子のことに決まっている」と主張する人がいる。競馬について語るのであれば、そのようにいえるかもしれない。そもそもサラブレッドの語源は、「徹底的に品種改良された」である。しかし人間の場合、話はそこまで単純ではない。

 私の趣味は将棋であり、子ども将棋教室のお手伝いに行っている。そこでたくさんの幼児や小学校低学年の児童を観察してきた。将棋上達のスピードは、子どもによって非常に大きい差がある。見たところその差は何十倍もあり、「この子は才能がある・才能がない」と安易に決めつけてしまいそうになる。

 たしかに、短期的にはその通りで、遺伝的にすぐれた資質をもっている子が先に進んでいく。しかし、長期的にみると、必ずしもそうとはいえない。資質はあっても自分の力を過信したり、他のことに目が移ったりして、上達がストップしてしまうことも多いのだ。これは将棋以外の多くの分野にも当てはまるだろう。

 本当の才能とは、理解の速さなどの短期的なものではなく、そのことがどれだけ長いあいだ続けられるかである。将棋でいえば、小学生のときには負けてばかりだった子が、ゆっくりではあるが着実に上達し、高校生になって全国大会で活躍したという例もこの目で見た。つまり、私にとって才能とは「持続する志」であり、はやりの言葉でいえば「グリット=やり抜く力」なのである。
(約600字)
posted by a cat at 14:01| Comment(0) | 日本語小論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小論文チャレンジ08-1

「才能がある」とか「才能がない」とかよく言われます。あなたにとって才能とはなんですか。あなたの考えを600字以内で述べなさい。
(2019日本医科大学)

Version 1
 「あなたにとって才能とはなんですか」とは奇妙な質問である。私にとっても誰にとっても、才能とは遺伝子に他ならないからである。この事実は「不都合な真実」であり、誰もが気がついていながら、公言することが一種のタブーとなっているのだ。

 何年か前に、陸上競技世界選手権銅メダリスト為末大さんの発言が物議をかもした。「アスリートはその体に生まれるかどうか」で99%が決まる。努力すればできると成功者はいうけれど、「できる体に生まれることが大前提」だとSNS上で主張したのだ。これは20年もの長期に渡って限界まで努力を続け、世界の舞台で結果をだした人の発言であるから、重みがある。

 たしかに、この発言は受け入れられずに多くの反発をまねいた。しかし、反論のほとんどは「そんなことを公言するな」「夢がなくなる」という感情的な反発であり、為末さんの主張自体は正論であると認めていた。もちろん努力はとても重要であるし、努力の価値は誰も否定できないけれど、ウサイン・ボルトを努力で生みだすことはほぼ不可能だと認めざるをえないのである。

 したがって、私にとって才能とは自分探しの旅である。自分は本当は何が好きなのか、何に向いているのか、自問自答しながら自分の道を探していく。ちょうど為末さんが100メートルをあきらめて、自分に向いている400メートル障害で勝負をしたように。
(約600字)
posted by a cat at 13:14| Comment(0) | 日本語小論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月03日

小論文チャレンジ07-4

この絵画から思うところを600字以内で述べなさい。
東山魁夷「道」(※ここではリンクは貼りません)
(2018日本医科大学)

Version 4
 この絵画では道の両側に広がる、まるでゴルフ場のような草原が印象的である。これを見て私が思いだすのはノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智先生である。先生は日頃から各地で微生物を採取しており、たまたま静岡県のゴルフ場で採取した微生物から寄生虫病の特効薬を開発した。この薬はアフリカで無償提供されて毎年何億人もの人を失明の危機から救っているという。

 ノーベル賞受賞者は、専門だけでなく昆虫や草花など幅広く自然に興味をもったナチュラリストであることが多い。なぜなら、科学的な発明や発見はたいていの場合、セレンディピティとよばれる偶然や、何かの失敗から生まれるからである。あらかじめ正解の用意されたテスト問題とは違い、計画的・効率的に最短距離で準備をすることはできないのだ。例えば、ノーベル化学賞を受賞された下村脩先生も、ひたすら何十万匹ものオワンクラゲを採取して発光のしくみの謎を追い求めてきた。すぐに役に立つとかお金になるということではなく、好奇心が原動力であった。それが医学の進歩に貢献することになるとは、当時は想像もしていなかったのである。

 自然とは本来、混とんとしてとらえどころがないものである。ゴールに向かって道をまっすぐ進むのではなく、道草をして何かに偶然出会う。意外さや想定外を受け入れる。私はそういう経験を大切にしながら、将来、基礎医学の発展に貢献したいと考えている。
(約600字)
posted by a cat at 20:27| Comment(0) | 日本語小論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月29日

小論文チャレンジ07-3

この絵画から思うところを600字以内で述べなさい。
東山魁夷「道」(※ここではリンクは貼りません)
(2018日本医科大学)

Version 3
 「東山魁夷の『道』は日本画の最高傑作のひとつであり、作者の内面を映し出している。シンプルな構図と色使いによって、『希望に満ちた未来』や『不安と決意』を表現している」……などと書けば、この絵画を鑑賞したことになるのだろうか。私はそうは思わない。なぜなら、絵画は本来目で見て楽しむものであり、頭で理解するものではないからだ。感動を言葉で表すことはできないのだ。

 大切なことがすべて言葉で説明できたり、理性で割り切れたりするわけではない。言葉は誤解の源にもなる。このことは医療にも深刻な影響を与えている。例えば、効果のない高額なニセ医療にだまされる患者や家族が後を絶たないという。これは患者や家族と医療者とのコミュニケーションに根本的な原因がある。

 特に末期がんの患者は大きな不安を抱えており、「標準治療」よりも効果的な「特別な治療」があるのではないかと、最適な治療を懸命に探している。こうした不安に対して、医師が科学的な根拠と理論で納得させることは難しい。代替医療に走ってしまう患者や家族をせせら笑う医師がいる一方で、親身になって患者の気持ちに寄り添ってくれるニセ医療者がいるという、遺族の証言もある。

 医師にとって最も必要な資質は、必ずしも頭がよいことや言葉で説明する力ではない。患者の目線になって共感する力、そしてときには黙って話を聞く力が欠かせないのである。
(約590字)

※やっぱり、単に「思うところを述べる」のではなくて、
 問題提起をしないと「小論文」にはならない...と思うのですが?
posted by a cat at 12:05| Comment(0) | 日本語小論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月28日

小論文チャレンジ07-2

この絵画から思うところを600字以内で述べなさい。
東山魁夷「道」(※ここではリンクは貼りません)
(2018日本医科大学)

Version 2
 描かれているのは舗装されていない一本の道にみえる。淡い緑色は牧草地のようだ。これをみて私は小説『赤毛のアン』シリーズを思いだす。孤児のアンは、養父母のおかげで学校に通えるようになった。学校では宿敵ギルバートとのライバル心から頭角を現し、教職免許だけではなく大学への奨学金をも手に入れた。アンとギルバートは当時の農村にはめずらしく強い向学心をもっていたのだ。

 ところが、幸せの絶頂でアンの「道」は曲がりはじめる。養父が急病で亡くなったのである。アンは奨学金を断り、地元で先生になることを決意する。「奨学金を手に入れたとき、未来はまっすぐな一本道にみえた。今その道は曲がり角に来たけれど、むこうにはきっと素晴らしい世界があるはずだ」と。働きながら、アンとギルバートは将来の夢について語りあう。彼は医師になろうという決意を固めていた。人類の進歩に少しでも貢献したいというのだ。苦学のすえ、アンは医師となったギルバートと結婚する。

 彼らのように、困難にあっても大志を見失わなければ、最終的に夢は達成できるはずだと私は感じている。私にとって大志とは戦うことだ。何と戦うかというと、病気や苦痛あるいは無知と戦いたいのである。この道をゆけばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ。行くぞー、1、2、3、ダー。
(約600字)

※最後の部分、有隣塾(羽島市の学習塾)様のアイデアです。
※これも自分の意見は最終段落のみ。もっと改善する必要があるでしょうね……。
posted by a cat at 22:10| Comment(0) | 日本語小論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする